The Cat's Pajamas

旅と読書をこよなく愛する平成育ちの猫好きです。自分の好きなことだけをのんびりぽつぽつ紡いでいく趣味ブログを目指しています。

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失恋した後に『嫌われる勇気』を読んでみた場合

『嫌われる勇気』と私の出会い

最近、巷で流行りに流行っていた自己啓発本といえば、この本。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

そう『嫌われる勇気』です。

この本と出会ったのは、去年の夏頃になります。

普段だったら手に取らなかったいかにも”自己啓発”という感じのタイトルの本。

めっちゃプッシュされて本屋に平積みされている本。

いつものわたしだったら、おそらく素通りだったでしょう。

でも、その時の私は違いました。何がどう違ったかっていうと

失恋の直後だった

んです。

すごく好きになった男性に、嫌われたくない嫌われたくないってビクビクしながら付き合ってたら、まぁあっさり振られてしまったという、見るも無残なぼろ雑巾のような女が紀伊国屋に漂っていたわけです。

すると、ふっと一冊の本が目に留まる。

まるで第六感がピーンという感じで引き寄せられるように本を手に取り、その瞬間、開眼した。

これだ。

わたしに足りないの

こ・れ・だ・・・!!!

気の毒なことに失恋直後というのは何にでもすがりたくなるものです。

失恋してから、この手の自己啓発本を最近まで、読み漁っていました。

しかし先日この本を読み直して、これはなかなかに実践的な良本なのではないか、今回筆を執った次第です。

一人でも多くの人にこの本を読んでもらいたい、純粋にそう感じた結果、今回はこの本の魅力となるポイントを、私の失恋に準えて簡単に説明します。

アドラー思想に興味があるという方だけでなく、失恋して立ち直ることのできないあなたに向けて、何か参考になる記事が書ければ幸いです。

『嫌われる勇気』の魅力①対話形式で読みやすい

本書は、全体的な構成がすごく練られています。すごく読みやすく簡単な文章で書かれているのですが、説得性を高めるためにかなり構成を練った本だと思われます。

本の流れは対話形式です。

無知で自意識の強い野心的な”青年”と、独りはあらゆる地を知り尽くした”老人”の対話という設定です。

この老人が言葉を述べるたびに、青年がことごとく反発をします。

この青年は聡明ですが、猜疑心に満ちています。

そんな彼は、読者の代わりに非常に答えにくい鋭い質問ばかりを老人に投げかけていきます。

この本の凄い処、それは老人の回答が、常にその青年の鋭い質問を上回った答えばかりだという点です。ですから青年の立場に立っていた読者は、否応がなしに老人の言葉に納得させられてしまうのです。

この本は自己啓発本というジャンルに属しています。

でも逆にいつも自己啓発本というジャンルの本に対して「こんな本読んでも(笑)」と批判的になってしまう人こそ、読むべき内容だと強く感じました。

そして私もまた、失恋というきっかけがなければこの本を読むことのなかった人間でした。そう思うと、失恋したのも何かの縁なのかもしれない、そんな不思議な気分になったほどでした。

『嫌われる勇気』の魅力②いかに自分が主観的に物事を捉えているかに気づくことができる

この本で私が心を惹かれた点は

・大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか
・われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」である。解釈は「選択可能」である。

という部分でした。

例えば、ついやってしまうのが

「どうして私は巨乳に生まれてこなかったんだろう」

みたいな主観的な考え方です。

どうして私は貧乳に生まれてきたんだろう。

こんな揉みごたえのない乳を揉んで、誰が喜んでくれるんだろう。

私は、貧乳だから振られたんだ。

こんな私なんて、誰も愛してくれるはずがないんだ。

みたいな思考です。

でも私が貧乳だという事実は、どうしたって変えられないんです。

胸にシリコンでもつめない限り、私は貧乳なんです。

そう、大事なのはその事実を受け止めることです。

そして、これを、このように考えることもできます。

私は、貧乳だ。

たしかにあまりボリュームはないし、需要も低い。

でも将来、垂れることはないだろうし

サイズの合わない服もないし

全体的に、形はそんなに悪くないだろう。

つまり自分の容姿や性格など先天的に与えられたものばかりを否定して、自分が今、もっているものに目を向けないという姿勢は、あまりに視野を狭めてしまいます。

自分が今、持っているもので勝負する(人生を楽しむ)という姿勢、忘れないようにしたいと強く感じました。

『嫌われる勇気』の魅力③「不幸でいるためのトラウマ」に気づくことが出来る。

自分を客観的に見て、事実だけを受け入れる。

けれど、そうはわかっていても、過剰な自己卑下に陥り、前に進めなくなってしまうこともあります。

例えば、大失恋をした直後なんかは特に。

と思っていると本書では、その理由をこのように説明してくれました。

・他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に恐れているからこそ「自分を嫌い」になる。

自分を嫌いになれば、誰にも関わらなくて済むし、対人関係で傷つかなくても済む。

でも対人関係で傷つかないことなど、絶対にありえない。
・不幸であることが自分にとっての「善(=ためになる)」と判断したから、不幸のままである。

確かにそうかもしれない。

私は貧乳だから

このような発想には、AだからBというように、必ず続きがあります。

私は貧乳だから

だから、私は男性に愛されない、と。

これはつまり

恋愛で傷つきたくないから、貧乳で愛されないってことにしておく。

⇒恋愛をしなくてもいい!

という結論になっています。

つまり貧乳であることを、前に踏み出す必要がない(勇気を出す必要がない)最大の言い訳にしてしまっているのです。

これは、子どもたちの勉強に対する態度にもよく見られるパターンでもあります。

すなわち「俺、どうせ頭悪いから(=勉強したくないから、勉強できないってことにする)⇒勉強しなくてもいい」という考え方です。

でも違うんですね。

まずは「勉強しない」という目的があるからこそ、否定的な言葉が口癖になってしまうという仕組みになっています。われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、常に自分のための「主観的な解釈」だとこの本では語っているのです。

トラウマがあるからできないんじゃない。

実は、できない理由として自分がトラウマ(例えば貧乳)を必要としているということです。

この考え方は少しショッキングなものでした。

上記に加え、解釈とは常に「選択可能」なものであると、本書では説明されています。

 ・劣等感は努力や成長を促すための、きっかけになる。劣等コンプレックスは、自らの劣等感を言い訳に使い始めた状態のこと

・わたしは学歴が低いから、成功ができない。 

・わたしは器量が悪いから、結婚できない。

⇒現実的な努力をしたくない、多少の不満や不自由があっても、今のままでいたほうが楽だから。

実際は、貧乳が振られた直接的な原因ではないし、頭が笑いのもテストで点が取れない理由ではありません。

それを逃げの理由にして、しかるべき時にしかるべきことをしなかっただけなのです。

ここにあるのは、ひとえに自分の弱さしかありません。逃げるという選択をとるために、自分が積み重ねてきた解釈、それがコンプレックスやトラウマというものの正体なのかもしれません。

『嫌われる勇気』の魅力④課題の分離(自他の区別)という考え方を学べる

私が本書を読んで、一番ポイントだと感じたのは、この課題の分離という発想でした。とくに周りに気を遣いすぎる人、自分に自信がない人に多いパターンとして、相手の移行を汲み取ろうとしすぎて、自滅するパターンというのがあるかと思います。

これは一見、相手のことをよく考えている思慮深いイメージなのですが、発想分と他者の分離ができていないともいえます。

どこまでが自分の課題で、どこまでが相手の課題なのか、冷静に線引きする。他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。

つまり「私は貧乳だ(=自分の課題)」と自分が勝手に思うことと、相手が「こいつは貧乳だ(=相手の課題)」って判断することとは、まったくもって関係がないということです。

私はこの発想に、目からうろこが落ちるような想いを抱きました。

自分のことを相手がどう思うのか?というのは、絶対に知りえることができない。相手が自分をどう思うか、どのようにとらえているのか、それは神様のような全体知でもない限り知りえない。

だからこそ、最初から考えない。

どこかの哲学者の言葉みたいになってしまいますが、わかりえないことは語りえない、考えても無駄なのです。

自分に対する他者の評価(=他者の課題)は、全部他者に丸投げにする。

この勇気を結局のところ筆者は「嫌われる勇気」と呼ぶわけです。

でもこれは決して、他者への配慮に欠けた自分勝手な振る舞いを進めて、横暴になれという意味ではありません。大切なのは、

・「自己への執着(self interest)を他者への関心(social interest)に切り替えていく。
・”他者からどう見られるか”ばかりを気に掛ける生き方こそ、私にしか関心を持たない自己中心的なスタイル。

つまり「どうせ、私は貧乳だし、恋愛しても振られるし、もう男なんていや」と家で泣いている暇があったら、外に出て男を捕まえて、そのささやかな乳で精一杯誰かを幸せにしようということだと思います。

自分の容姿やら能力やら身長やらで、うだうだ悩んでいる暇があったら、その関心を時間を労力を外へ向けて発揮せよ!ということです。

この本では「他者貢献」の意識の大切さが、繰り返し唱えられています。

これは本当に、本書を支える中核になっていると感じました。他者に何かをしてあげたい。自分は他者に貢献できている。

この思いをもてるかもてないかは、その人の人生観を大きく左右しているといっても過言ではないでしょう。

『嫌われる勇気』の魅力⑤「自己肯定」と「自己受容」は別物と気づける

加えて、とくに大切だなと思ったのは「自己肯定」「自己受容」の違いを、しっかりと理解することです。

・「自己肯定」=できもしないのに”わたしはできる””わたしは強い”と、自らに暗示をかけること。

・「自己受容」=できない自分をありのままに受け入れ、できるようになるだけ、前に進んでいくこと。

つまり「自己肯定」は「貧乳最高!貧乳でよかった!貧乳素敵!貧乳感謝!」と、自分に嘘をつくように暗示をかけるような行為のことを指します。とても悲しいですし、なんだか無理をしていることが伝わってきますよね。

一方で「自己受容」は「私がもつのは、ささやかな貧乳、でもぺったんこってわけじゃない」と過大評価も自己卑下もせず、現状をしっかりと把握し、認める姿勢です。謙虚でありながらも卑屈さを感じない考え方ですよね。

さらにここから「でも将来、赤ちゃんにしっかり母乳をあげられる母親になりたい。だから、しっかり栄養をとって、もっとふっくらした体つきになろう」という今後の目標を具体的に立てる前向きな姿勢が生まれます。とてもポジティブだと思います。

客観的な現状認識

今後の目標=自己受容

そして本書には、このような言葉を引用されていました。

「神よ、願わくば私に、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵を与えたまえ」

これ、夜中に暗唱しましたね。

暗唱しながら、泣きましたね(真顔)

彼の理想の女性になりたい。

そんな思いから、あらゆるサイトの「ビバ★モテテクニック」的なハウコレみたいなものを一日100件以上は読みあさり、あれほど軽蔑していた恋愛マニュアル本を読破し、そのうえネットに転がっているエロ動画まで見漁り、ありとあらゆることをしました。けれども、結局、その人を前にすると緊張して、自分が自分ではないような心持ちでしかいられませんでした。

大切なのはそんな努力ではなかったんでしょう。変えることのできない物事(=貧乳)を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気を常に見分ける知恵だったんだな、と。

どうでもいいはずの一部に目を向けて「みんな」「いつも」「すべて」など世界全体を評価する言葉を使わない。

男は皆、貧乳が嫌いだ。

いいえ、そんなはずありません。

そんな愚かしい考えは捨てなければいけません。

世界の中心を自分にしてしまえば、生きていくためには、あまりにくだらない悩みが多すぎます。乳の大きさで、真剣に泣ける、それは恋愛の極意かもしれません。でも、だからこそ自分の「主観」でモノを見ることが、どれほどに狭く「井の中の蛙」であるのかを知らなければならない。そして他人がどれだけ多くの解釈の多様性をもって、自分を待ち構えているのかに期待しなくてはならない。

本書では、よりよく生きるためのポイントとして、以下の点が挙げられていました。

・「他者信頼」=他者を信じるにあたって、一切の条件を付けないこと。
・「他者貢献」=「わたし」を捨てて誰かに尽くすのではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためになされるべきこと。他者が私に何をしてくれるかではなく、私が他者に何ができるかという視点で考える。

自分の解釈次第で世界はあまりに恐ろしい地獄と化します。しかし解釈によってはこれほど楽しい場所はないのかもしれません。

もっとイイ女になるためにも、背筋を伸ばして、胸をぐっと張って、次に進んでいかなくてはと思います。

人にとっていろいろと悩みはあると思いますが、対人関係の糸を解きほぐし、今後の自分を邁進させる手掛かりとして、この一冊、強くお勧めしたいと思います。

 最後に『嫌われる勇気』を読んだ感想まとめ

この本を勧めた母親は、私にわざわざ電話をかけてきて

「教えてくれてありがとう、私、今日からアドラー教になるから」

と宣言しました。

それくらい破壊力のある本です。

これは単なる自己啓発本ではありません。

あくまで岸見一郎が書いたアドラーという心理学者の考えを知るための入門書として読むべき本だと思います。

心理学(今でいう精神分析学派)の話題になると、よくフロイトが提唱したトラウマ(PTSD)理論というのが言及されます。トラウマというのは、最近では「昔、カレー食べてお腹壊したことあるから、刺激的なスパイスはトラウマで食べれないの」みたいな軽い調子で使われたりもします。

しかし、もとは戦争から帰ってきたベトナム兵の体に起きた異変や、性的暴行を加えられた女性の男性恐怖症など、死に直面する恐ろしい体験をしたことで引き起こされる後天的な恐怖症を指しました。

私がいつも納得いかないのは、このトラウマ理論そのものでした。

私の母親は酷い家庭不和で育ったため、本人曰くすごいトラウマを抱えている女性です。けれども毎度ヒステリーを起こすたびに「あんたと違って、私は幸せな家庭で育たなかったんだから!!!」となじられてもこっちとしては、何も言えなくなってしまう。

フロイト派の精神分析学では本人がトラウマ(無意識)を自覚することによって治癒に向かうといわれますが、結局どうしたらトラウマを克服できるのという治療法はとても曖昧です。そして逆にトラウマの自覚こそが本人がそれを理由に前へ進むことができない理由になってしまうのではないか、と個人的に思っていました。

アドラー理論は、同じような発想からトラウマ理論を完全否定する立場にあります。

今と過去なんて、関係ねぇ!!!

っていう力強さが根底にあるのです。

そしてこの力強さは、失恋を含め、過去の失敗にとらわれて動くことのできないすべての人、人間関係に悩んでいる多くの人の助けになるのではないかと強く感じました。

一人の研究者の学術的成果が、世に大きく影響を与える形で受容されるという意味で、私はこの本のブームをとても素晴らしいものだと考えています。

あまりのブームに、偏見を持ちまだ手に取っていないという方にこそ、ぜひこの本を一読して欲しいと心から思います。

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