どちらにしようか悩んでいるときは、どちらを選んでも後悔するという話

昔、このように教えてくださった人がいました。

どちらにしようか悩んでいるときは、どちらを選んでも後悔する

彼は、友人の紹介で一度だけお会いした3つ年上の先輩でした。

恋の予感とは不思議なもので、それは一瞬の飛び散る火花のように、激しく人の心をかき乱すものだと考えておりますが、その方に私は、そのような感情を抱くことがありませんでした。

相手も同じ心境だったのでしょう。

私たちは、のんびりと二人で喫茶店に入り、黙々とお互いの身の上話をして、真っすぐに家路につきました。

その時、聞いた、忘れられない話。

その方は以前、心臓の病気を患い、とても長い間学校にいけないことがあったそうなのです。

自分は若くして死ぬんだ、といつも思っていたと言いました。

彼は

今でも死というものを大分身近に感じる

のだそうです。

しかし、そのおかげで、彼は物事の決断において悩むことが無くなったと静かに語りました。

自分がいつ死ぬか、わからない。

死の恐怖がいつも自分のすぐ後ろに迫っていることを、忘れることができないからこそ、自分の気持ちには常に正直でいるから迷いがない。

そう仰っていました。

そんな彼に、私はふと将来の進路について悩んでいる、と相談しました。

その時に、言われた言葉が

  • どちらにしようか悩んでいるときは、どちらを選んでも後悔する

です。

彼は、柔らかい笑みを浮かべながら、私の迷いにあっさりと結論を出しました。

「それはもしかすると、どちらの選択肢にもあまり魅力を感じていないのかもしれないね」と、事も無げに。

どちらにしようか悩んでいるときは、どちらを選んでも後悔する

その男性とは、それっきりお会いすることはありませんでした。

しかし何年たっても、もう名前も顔も思い出すことができないその人の、言葉だけが、ふと頭に過ることがあります。

それはいつも、わたしが選択肢に悩んだときです。

私は、とても優柔不断な人間です。

いつも選択に迷うし、決められないと頭を抱えてしまいます。

  • どちらにすればいいのか決めることができない

それは結局のところ、どちらも決定打に欠けるということなのでしょう。

もしかすると、どちらもそれほどほしくはないのかもしれない。

だから結局、どちらを選んでも、後悔する。

彼は、そう断言していました。

よく考えてみれば、当然のことなのです。

目の前に、水とコーラがある。

でも、どちらにしようか悩んでしまって、いつまでも選ぶことができない。

いつまでもずっと。

どうして悩みながら、私たちは気づけないのでしょう。

そもそも喉など渇いておらず、どちらもそれほど望んではいないということに。

どうして喉が渇いていないのに、それらを手に取ろうとしてしまうのでしょう。

他人からの期待。

社会の眼差し。

親の願いに、自分の小さなプライド。

それから多くの、ときに自分の本当の心を覆い隠し、目を塞ぎ、言葉を遮る、なにかのせいでしょうか。

あの日、夏の昼下がり。

決められない私を俯瞰するように見ていたあの人は、いつも自分の心臓の音に耳を傾けながら、本当に求めるべきものを間違わないように、一日一日を生きていた人だったのでしょう。

けれども私は、決められない自分の危うさを黙認してばかりいます。

大切なのは、自分に嘘をつかないこと

そういえば、昔読んだ『カラマーゾフの兄弟』の中に出てきた神父の警鐘に、こうありました。

肝心なのは嘘を避けることです。

一切の嘘を、とくに自分自身に対する嘘をね。

自分の嘘を監視し、毎時毎分それを見つめるようになさい。

私はこの言葉に、思わず唇を噛みしめてしまう未熟な人間にすぎません。

あのときAではなくBの選択肢を選ぶべきだった。

いいえ、違う。

きっとどちらを選んでいても同じだったのでしょう。

選択に悩んだときは、その悩んでいるという事実そのものが感情のサインであることを決して見落としてはいけない。

そんなことを考えながら、開いていた本を閉じて、背筋を伸ばし、美味しいものをたくさん食べようと考えながら、私はもう今日の献立に悩んでいます。

気まぐれに、そんな自分の心臓にふと手を当ててみたりするのでした。

当ブログにはこんな記事があります

一人旅を「寂しい」と思える心を、忘れてはいけないのかもしれない 「努力」とは何か。有名人の名言から真剣に考察してみた

当ブログのコラム一覧はこちら

2 COMMENTS

あき

こんにちは。何だか心に染みいる記事でした。
私も今仕事を辞めるか辞めまいか悩んでいます。味方も誰もいない中、後1週間ほどで決めなくてはなりません。
どっちを選んでもどっちもものすごく後悔するのでは、と思います。
未知の分野に挑戦したい自分と、でも
このままでは壊れそうだという自分
相談出来る人がいない中、どちらに転んでも心を病んでしまうのではないか
おそろしいです
突然のコメント失礼しました。

返信する
ぱじゃねこ

あきさん
コメント有難うございます。
この記事に関しては初めて読者の方からレスポンスをいただけたので、大変嬉しく思います。
この記事では「どちらにしようか悩んでいるときは、どちらを選んでも後悔する」理由を、どちらの選択肢にも本当は魅力を感じていないのでは、とまとめました。
でももう一つ、悩んでいることが感情のサインであるという点は、とても重要な部分だと個人的には考えています。
決断する前に「悩む」。
この行為の本当の問題点は、おそらく選択肢の内容そのものにあるわけではありません。
その選択肢を選んだ後に、自分が後悔することを既に自分が「予感」し「想像」してしまっている点にあると思うのです。
ありきたりな言葉で申し訳ありませんが、「予感」は的中し「想像」は形を成して、必ず現実になるというのは、ある種の真理ではないかと私は考えています。
だからもし、あきさんが今「どっちを選んでもどっちもものすごく後悔するのでは」と「予感」し、未来の自分を「想像」しているのであるならば、それはどちらの選択肢を選んでも、きっと現実になってしまう気がするのです。
ですから今の段階で、選んだ先に少しでも多く幸せそうな自分の姿を想像できる選択肢を選ぶ、というのは一つの方法かもしれません。
それから私の好きな言葉に「選択肢に悩んだときは、自分が物語の主人公だと考えたとき、より波乱万丈で面白そうなストーリーになる選択肢を選びなさい」というものがあります。
参考にしてください。
あきさんがどのような状況にあり、どのように苦しんでいらしゃるか詳細を知らない身でありますが、あまり自分を追い詰めすぎないよう、ご自愛くださいね。
それでは長文、失礼いたしました。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。