雨の日のプラハで出会った、英語を話せない老人が教えてくれたこと

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雨の日のプラハの思い出

雨が降ると、夜のプラハで出会った、或る老人のことを思い出します。

その日、私は

 

「真夜中のプラハ城で、夜景を見よう」

 

という突然の素敵な思いつきに酔いしれて、ふらり宿を飛び出しました。

それはもう、魔法の世界に足を踏み出すような心持ちでした。

知らない街の夜の空気を思いきり吸い込んで、静寂に包まれた何もない夜の風景をぐるりと見まわす。

それだけで、ぐらっと眩暈を感じるほどに私の気分は高揚していました。

けれども、人生とは思い通りにいかないものです。

プラハ城にたどり着いた私を待っていたのは、異国の地に浮かれた旅行者をあざ笑うような土砂降りの大雨。

 

30分待てば、雨はやむだろう。

1時間待てば、小雨になるだろう。

しかし、雨は一向に勢い止むことを知りません。

 

すっかり希望を失った私は、1人寂しくプラハ城に背を向けて走り出しました。

宿への道のりは、遠く。

吹き荒れる雨に耐えかねて、小さな明かりが灯る売店の軒下に身を隠し、途方に暮れたように立ち尽くしました。

ザアザアと雨は降り、ぼたぼたと全身から滴が床に落ち続ける。

それはもう、哀れなドブ鼠といっても過言ではない有様でした。

 

その時、です。

売店から出てきた1人の老人が、バサッと黒い蝙蝠傘を目の前で開きました。

 

そして、こちらをじっと見たあとに、急になにかを話しかけてきたのです。

私の知らない異国の言葉で、何度も。

ためらう私を歓迎するように、老人はくいっと傘を動かしました。

導かれるようにおずおずと横に並びます。

すると、老人はまるで当たり前のように私を雨から守りながら、ゆっくりと坂を下り始めたのでした。

 

本当にありがとうございます。

私は日本から来たんです。

あなたの家はこの先にあるんですか?

 

私の拙い英語は、その老人にとって、まるで宙に浮く暗号のようでした。

老人がぽつぽつと紡いでくれた現地の言葉もまた同じように、私にとっては読み方の知らない楽譜に並んだ音符のようなものでしかありません。

でも足取りは、同じです。

言葉のすれ違いを補うように、歩調を合わせ、少しずつ少しずつ二人で坂を下りました。

とても慎重で、決して力強いとは言えない老人の歩き方。

それを横目で、ちらと確認した私は

 

この坂が上り坂でなくてよかった

 

と心の底から安堵していました。

雨の街には人気がなく、闇の中で濡れた石畳がきらきらと輝いていました。

すっかり坂を下った先に小さく灯る宿のネオンが見えてきます。

私はぱっと老人に笑いかけ、宿の灯りを指を指しました。

 

ヂェクイ

ヂェクイ

ヂェクイ

 

記憶の底から呼び起こした、唯一知っているチェコの言葉を、私は節操のない小鳥のヒナみたいに繰り返しました。

老人は宿の入り口を照らす明かりのしたで、はにかんだように笑いました。

そして、くるりと私に背を向けて

何のためらいもなく、来た道を、あの長い坂を、またゆっくりと静かにのぼりはじめたのです。

まるで雷に打たれたように、バカな私はようやく老人の圧倒的な善意を悟ったのです。

そんな私を振り返ることなく、老人の背中は少しずつ少しずつ遠くなり、いつしか濡れた闇に包まれて、次第に視界から消えていきました。

この世で一番、尊いものと恐ろしいもの

突然ですが、この世界で一番恐ろしいものは何かと尋ねられたら、私は迷わず人間と答えます。

「世界史」という名の人間の黒歴史を見れば、明らかでしょう。

同じ言語を喋り、同じ国に生きていても、異なる考えを持つ他人と共生するというのは決して簡単なことではありません。

ましてや民族や宗教、文化を共有しない人間同士が互いを尊重しあうのは、とても難しいことだと思います。

聖書のはじまりを飾る一言が

「初めに言(ことば)があった」

であることは、多くの人が知っています。

この世界のどんなものよりも最初に誕生したのが、人々が友愛と信頼を築くための言葉だった、と。

しかし人々が共有していた、たった1つの言語はバベルの塔を見た神の怒りによって、バラバラとなり、人々は散り散りになったといいます。

言葉が生む、ディスコミニケーション。

それは対象への恐怖をどこまでも大きく育てるでしょう。

理解できないものを怖がるのは当たり前の感情です。

慣れないものを拒絶するのは自己防衛です。

しかし

いや、だからこそ

あの日、雨でずぶ濡れになっていた異国の人間を

言葉の通じない見知らぬ外国人を

躊躇いなく自分の傘に招いて坂を下った

あの老人を私は忘れることができないと思います。

そして彼の善意はきっとこの先何十年も、私の中の「チェコ」のイメージとして生き続けます。

宗教も民族も、言葉も違う。

その遠さゆえに、誰かの小さな善意は「国」を背負い、異国の思い出に刻まれるのです。

言葉の壁を恐れずに、自分とは異なる環境に生まれた人に歩み寄る善意。

その力を、私はあの老人の後ろ姿に学ばされたような思いでした。

この世で一番恐ろしいものは人間だ、と語ることは簡単です。

でもそのうえで、この世で一番尊いものは何かと聞かれたら、それもまた人間だと答える強さがほしい。

そんな大仰なことを雨の中、傘を片手に考えながら

私は駆けるような速足で、一人家路に続く坂を登り続けるのでした。

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