『めぞん一刻』にみる男女の求める理想の愛について|感想・レビュー
最近『めぞん一刻』文庫版が近所の古本屋さんで全巻30円で大安売りされているという素晴らしい出来事に遭遇しました。
『めぞん一刻』の感動が3コインで買えるなんて
そんな馬鹿な…
と困惑しながら、レジに直行!
嬉しすぎて、一気に三周、読み直しました。
そんな私はバリバリの平成生まれ。
- 好きな漫画は『めぞん一刻』です
と周りの友人に伝えても
「あの未亡人と結ばれるやつ?」
「なんか古いマンガだよね?」
「最終回だけ知ってる」
という冷たい反応がほとんどです。
おい…
ふざけんなよお前ら!!!(涙)
『めぞん一刻』の魅力は、決して最終話だけに詰まっているものではないのです。
ということで、この漫画の地味に凄いと思う点を考察しつつ、書き殴りたいと思います。
『めぞん一刻』の魅力①:漫画の中の「時間」
まず、この漫画の地味にすごい点は
- 漫画と現実(連載当時)の時間軸が同じ
だったという点です。
『めぞん一刻』は1月連載に正月を祝います。
3月に合格発表があり、夏には海に行く…という具合に漫画の中のイベントと現実世界の季節がシンクロする連載漫画でした。
それだけなら昨今珍しくないのですが、この漫画の中の主人公たちは
- ちゃんと歳をとる
んです。
漫画の長期連載の場合は、物語の都合上、主人公の成長をあえて止めたり、あるいはあっという間に大人になったりすることが多いですよね。
例えば、ドラえもんやちびまる子ちゃんはずっと時間が止まった世界に住んでいます。
しかし『めぞん一刻』は違います。
主人公五代君の浪人生活、合格発表、大学生、就職浪人…
彼の人生の節目が
- 現実世界とほぼ等しい時間の流れ
に沿って描かれていたんです。
つまり、この漫画は
- 一人の青年の成長(恋愛)物語がを本気の7年越しで描く
というのがポイントなんです。
長期連載が必須のうえ、今の時代の漫画家さんたちにこれを求めるのはとても難しいことだと思います。
というのも漫画に慣れきってしまった読者に対し
- 刺激的な場面や展開
を提供しなくてはならない、連載の移り変わりが激しい弱肉強食の漫画戦国時代です。
或る意味で『めぞん一刻』はこの時代(80年代)だったからこそ描くことができたのかもしれませんね。
『めぞん一刻』の魅力②「青年」向けラブコメ漫画の「原点」でありながら「頂点」
ここで『めぞん一刻』のあらすじを振り返ってみましょう。
- あらすじは超単純
です。
浪人生の主人公五代が、おんぼろアパート一刻館の管理人音無響子に一目ぼれ。
ひたすらに彼女を追いかけ続けるという典型的なラブコメディ。
ちなみにヒロインの響子さんは
- スタイルよし
- 器量よし
- 掃除洗濯料理すべて完璧
- スポーツ神経抜群
まさに高嶺の花といった女性なのです。
対して五代君は、不器用で冴えない要領の悪い
- 優しいだけが取り柄
のようなごくごく平凡な男です。
ちなみに青年漫画のラブコメディというのは
- 同居(ホームコメディ)
- 主人公(冴えない男)
- ヒロイン(超美人)
というパターンが、今でも実に多いですね。
▲最近では『ドメスティックな彼女』などの設定が浮かびます。
なぜか冴えない男主人公が可愛い女性(多くの場合は複数人に)言い寄られるというシチュエーション。
そして、女性が異様なほどにナイスバディであることが多い。
『めぞん一刻』はこういうお決まり要素をすべて先取りした漫画です。
例えば
- 五代にメロメロの女の子こずえちゃん
- お風呂シーン(響子さんのナイスバディ)
- 一つ屋根の下(五代のエロ妄想)
などが、繰り返し描かれているのも特徴の1つでしょう。
昔、『ラブひな』という漫画が流行りました。
この漫画も『めぞん一刻』をより青年向け(ハーレム×エロ要素の追加)にした印象を受けました。
ホームコメディという観点で見れば、同時期では(81年~)あだち充の『タッチ』が連載されていた時代でもあります。
ジャンルが違うとも思われるかもしれませんが『タッチ』と『めぞん一刻』の共通点を考えるのもまた面白いものがあるのです。
エロだけでは物足りない!男性主人公の成長を描いた恋愛漫画
例えば『タッチ』の決まり文句と言えば、ヒロイン南ちゃんの
- 「私を甲子園へ連れてって」
です。
この南を甲子園に連れていくという思いが、主人公を成長させていきます。
同じように『めぞん一刻』でも主人公を成長させる動機が存在します。
それが
- 「響子さんと結婚する」
です。
つまり、ヒロインを幸せにしたいという強い願望なんです。
愛する女を幸せにしたいという強い願望によって、男性主人公が成長していくというプロット。
つまり
- 「君のために俺はいい男になる!」
というモチベーションを昇華して成功していく男性像が積極的に描かれる。
これも80年代以降の青年向けラブコメディ漫画における典型的なパターンになりましたね。
さらに、ここからより深く『めぞん一刻』の魅力を分析していきましょう。
永遠のヒロイン「音無響子」の凄い点とは何か?
この男性のモチベーションを保つために必要なのが
- 魅力的なヒロイン象
になります。
で『めぞん一刻』のすごい点。
それは、なんといっても音無響子というヒロインが男性が夢中になる女性の秘儀つまりは
- 手に入りそうで手に入らない女の距離
を7年も保ち続ける荒業を繰り広げてくれる点だと思います。
この漫画(もしくはヒロインの響子さん)が多くの男性に支持された理由はなぜか?
それは作者が
- 男性を魅了する小悪魔的なヒロインの特徴
をとても上手に描いているという点にあります。
- 1つ屋根の下
- 時たま手が触れる
- たまにハプニングキス
- お弁当を作ってくれる
- 毎朝笑顔で自分を見送る
といった思わせぶり行為を散々に行いながら、他の男(金持ちイケメン)ともまた余裕のデートを行う音無響子。
つまり漫画のプロットだけでなく
- キャラクター設定
においても『めぞん一刻』はラブコメ青年漫画の「原点」ともいえる雛形を築いているんです。
ここまでの内容をまとめただけでも
- 7年長期連載
- 登場人物がリアルに成長
- ホームラブコメディの原点
- 愛の獲得というゴール設定
- 手に入りそうで入らないヒロイン象
といった具合に青年向けラブコメディにおいて今なお需要の高い要素を既に80年代で先取りした漫画だとわかっていただけたと思います。
が
私が『めぞん一刻』を称賛するのは、以上の理由だけではありません。
『めぞん一刻』の真の凄さは
女性も楽しめる
実は、この一点にあるのだ、と私は確信しています。
それは一体どういうことでしょうか?
『めぞん一刻』の魅力③「女性」向けラブコメ漫画の「原点」でありながら「頂点」
「めぞん一刻」という作品のプロットを、ここで青年漫画として分析してみましょう。
主人公の五代は冴えない浪人生。
これと言って特技もないし、顔も平均並み。
或る日、超美人で家庭的な、高嶺の花の未亡人音無響子に一目ぼれ。
彼女のハートを射止めること、一人前の男として認められることをひたすらに目指して、不器用に成長していく物語…
しかしこれを
- 女性の視点からみる
と、どうでしょうか?
つまりヒロインの響子さんを主人公とした女性漫画的視点から、プロットを追っていくのです。
すると以下のような物語になります。
音無響子は、心優しく、気立ても良い、家庭的な美人。
けれども人生でたった一人愛した夫が結婚後、数年で他界。
若くして、突然、愛する人を失うという悲劇にあいます。
「私の夫は一人だけ。これから一人で生きていこう」
そんな誓いを立てる彼女の前に、一人の青年が現れます。
彼の名前は五代。
特に特技があるわけでも超イケメンなお金持ちでもありません。
亡くなった旦那さんとは全然違うタイプの男性です。
最初はそんな彼に対して、当然特別な感情は抱いていませんでした。
冷たくあしらったことも何度もありました。
でも、彼は絶対にあきらめません。
どんなにわがままを言っても、かつて愛した人を忘れられないと言っても、受け止めると言ってくれる。
次第に彼の明るさ、優しさを頼りにしている自分に彼女は気づき始めました。
ずっと、七年もの月日をかけて。
そう、お気づきでしょうか?
『めぞん一刻』は男性にとって理想的なシュチュエーションだけを盛り込んだ青年漫画ではなく、女性にとっても比較的理想的な恋愛の形を雛形にしているのです。
音無響子という「面倒くさい女」
ここでさらに
- 音無響子というヒロイン
について指摘したいことがあります。
それは才色兼備で、家事すべてを完璧にこなし男性の理想ともいえる響子さんに
一つ欠点がある
という点です。
それは響子さんは、五代君がほかの女の子と仲良くすると、強烈に嫉妬し、機嫌を損ねてしまうという性格です。
そう、彼女は俗にいう
面倒くさい女
『めぞん一刻』は彼女のこの欠点が原因で、二人が何度もぎくしゃくし、すれ違いを繰り返すという仕組みになっています。
しかし五代君のすごい点は、響子さんにべた惚れなんです。
何があっても絶対に響子さんを追ってくるという点なんですよ。
そう、お判りでしょうか?
これ、青年漫画というよりも少女漫画によくみられる設定なんです。
冴えない青年がなぜかモテるというように、少女漫画には
- 明らかに男性に嫌われる
- 愛想をつかされる行動をしてる
のになぜかイケメンに愛される超ご都合主義展開が存在します。
青年漫画も少女漫画も等しく、現実では叶わないことを夢として提示するものです。
考えてみましょう。
全ての女性が恋人に本心では望んでいるのに、現実の世界ではあっさりと期待を裏切られてしまう展開とは何か?
それは
- 「もう嫌い」の裏にある「実は追ってきてほしい」
という超面倒くさい感情です。
五代君はイケメンでもなく超極貧の年下男。
でも、どんな見返りがなくても一途に響子さんを追いかけ続けます。
これは並大抵の精神力では、まず無理です。
本当にどっかの修行僧でない限り無理なんです。
7年間も「手の一つも握らせない男」の立ち位置なんです。
それなのに他の女の子にどんなに誘惑されても、彼にとって「抱きたい女」はただ一人だと言い切るんです。
いやいやいやいやいやいや、そんなプラトニックな男どこにいんだよ?
少女マンガじゃあるまいし
ってことなんです。
つまり『めぞん一刻』は実は男性だけでなく、むしろ女性の願望を忠実に描いているわけです。
以上の点から『めぞん一刻』は
- 男女両方の視点から楽しめるラブコメ
と結論付けさせていただきます。
そして、これは高橋留美子が男性心理をよく理解した”女性”だからこそできた偉業であると私は考えているのです。
男にとっての理想の愛、女にとっての理想の愛
男性における理想の愛とは、何なのでしょうか。
多くの漫画を参照するのであれば、それはおそらく理想の女(=性的に魅力的・簡単に体を許さない・自分に気があるような言動も多い)を追い続けて成長し、やっとのことで彼女の愛を勝ち得る展開です。
その出会いで人生を変えていくのです。
一方、女にとって理想の愛とは何なのでしょうか?
数多の要素があるかもしれませんが、やはり多くの少女漫画にみられるように
- 自分にベタ惚れ
- 結婚を望んでいる
- 一途で誠実・浮気しない
更にはどんなワガママや嫉妬も許してくれる無償の愛を望んでいるのではないでしょうか。
響子さんの場合は、未亡人という設定からより強く五代の一途さに救われるという面が強調されています。
そう「めぞん一刻」に見るのは、青年誌や少女漫画で頻繁にみる典型的な
二つの欲望
男女が求める愛の形が両方とも見事な交差で表現され、昇華した芸術的な美しさではないしょうか。
『めぞん一刻』…
それは我々男女が求めずにはいられない理想の愛の形を、両方描き切った傑出したラブコメ漫画なのです。
今後も多くの漫画が輩出され続けていく漫画大国日本。
その中でも「めぞん一刻」は漫画史に名を刻み続ける名作中の名作なんです!
だからこそ、刺激的な描写やオイシイ設定にあふれているだけのその他青年ラブコメ漫画と明らかに一線を画し続けていくことでしょう。
最後に|好きな漫画『めぞん一刻』感想(レビュー)
私はマンガ好きなのでこれまで時代を問わず、数ある少女・青年漫画を読んできました。
しかし『めぞん一刻』以上の胸キュン純愛ラブコメ漫画に、出会ったことがありません。
高橋留美子は間違いなく
天才
です。
『めぞん一刻』の好きなエピソードを数え上げたらきりがありません。
個人的には、特に好きなのは響子さんが五代君にお弁当をつくるエピソードです。
(以下少しネタバレ)
就職に失敗し絶望の中をさまよう五代。
彼は、保育園でバイトとして働き始めます。
子供と触れ合う楽しみを知り、保育士になりたいという夢をもつ五代を応援しようと響子は手作りのお弁当をつくり、五代に渡すようになります。
しかし保育園側の都合で、五代は突然バイトをクビになります。
その事実を響子に笑顔でお弁当を手渡されて、伝えることができません。
これは辛い…!
さらにキャバレーの呼び込みバイトをしているところを響子に偶然見られ、険悪な状態に。
「どうせまた投げ出したんだわ」
そう思った響子が保育園に電話をすると、五代はとても一生懸命に仕事をしていたのにクビになってしまったという情報が。
そして次の日。
きょきょきょきょきょきょ
響子さんっっっっんんん゛!!!
はい、こんな感じで私は「めぞん一刻」が大好きなんです。
絶対に損はさせませんので、気になる方はぜひ全巻一気読みしてください。
私の「めぞん一刻」愛が一人でも多くの方に伝わる記事になっていれば、幸いです。
最後まで記事を読んで下さり、ありがとうございました
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